Roots Chronicle

父が残した記憶を手掛かりに、素人が家族の歴史をたどる現在進行形の家系調査ブログ。

第8話 祖父はなぜ政界を目指したのか――新たに見つかった二つの史料

はじめに

この家系調査を始めた頃、祖父について私が知っていたことは、父から聞いたわずかな話だけでした。

その中でも特に印象に残っていたのが、

「祖父は犬養毅の秘書だった」

「国会議員だった」

という話です。

以前の記事でこの話を調べたところ、後者については少し違っていたことが分かりました。

祖父は国会議員だったのではなく、戦前の衆議院議員総選挙に立候補し、落選していました。

一方、犬養毅との関係については、父の遺品から犬養毅の書が見つかっています。

家族の伝承は、まったくの作り話ではない。

しかし、長い年月の中で少しずつ形を変えて伝わってきたのではないか。

当時は、そんな結論に至りました。

ところがその後も祖父について調べ続けていると、思いがけないところから新しい史料が見つかりました。

しかも、現在私が暮らしている地域にゆかりのある人物の史料からです。

そこには、これまで知らなかった若き日の祖父の姿が残されていました。

なぜ、今住んでいる土地で祖父を調べたのか

祖父が暮らしていた地域と、現在私が暮らしている地域は離れています。

そのため、家系調査を始めた当初、現在の居住地に関係する資料から祖父の名前が見つかるとは考えていませんでした。

しかし、祖父と関係があったと伝わる犬養毅について調べていくと、ある人物の存在が気になりました。

陸軍軍人としてだけでなく政治家としても知られる宇垣一成です。

そこで、

「犬養毅と宇垣一成の間に残された資料の中に、祖父に関係するものはないだろうか。」

と考え、宇垣一成に関する史料を調べてみました。

すると、本当に祖父の名前が出てきました。

『宇垣一成関係文書』に祖父の名前があった

最初に見つけたのが、**『宇垣一成関係文書』**でした。

その中に、犬養毅から宇垣一成へ宛てられた文書が残されていました。

そして、そこに祖父の名前が記されていたのです。

文面では犬養毅が祖父を宇垣一成に紹介しており、祖父が郷里の学校に関する用件を持っているので、便宜を図ってほしいという趣旨のことが書かれています。

私が特に注目したのは、その用件そのものよりも、

犬養毅が祖父を名指しして、宇垣一成へ紹介していた

という点でした。

父からは「祖父は犬養毅の秘書だった」と聞いていました。

そして家には、犬養毅から祖父に宛てられた書も残されていました。

それだけでも何らかの関係があった可能性は高いと思っていましたが、今回は家に伝わったものではありません。

祖父とも、その子孫である私とも関係のない場所に保存されてきた史料の中に、犬養毅と祖父との接点が残されていました。

これは私にとって、大きな発見でした。

『墨美』には、さらに詳しい記録が残っていた

そして、もう一つ見つけたのが、書を中心とした美術雑誌**『墨美』**に掲載された史料です。

こちらには、『宇垣一成関係文書』よりもさらに具体的な内容が記されていました。

祖父について、出身地域や大学に触れたうえで、犬養毅が紹介した人物として記録されています。

そして、私が最も驚いたのが、その先でした。

そこには、祖父が**「政界に出て一度志を伸ばしたい」**という希望を持っていたことが記されていたのです。

さらに、政務調査に関係する仕事に加え、将来に役立つ経験を積ませてほしい、という趣旨の依頼も記されています。

この文章を読んだ瞬間、

「ああ、やっぱり祖父は政治家になろうとしていたんだ。」

と思いました。

なぜなら、私はすでに祖父がその後どうなったのかを知っていたからです。

数年後、祖父は本当に国政選挙へ出る

以前の記事で調べたように、祖父は後年、実際に衆議院議員総選挙へ立候補しています。

結果は落選でした。

そのため、父から聞いていた

「祖父は国会議員だった。」

という話は正確ではありませんでした。

しかし、『墨美』に掲載された史料を読むと、その選挙への立候補が突然のものではなかったことが見えてきます。

その前から祖父は政界へ進むことを希望していた。

犬養毅が祖父を宇垣一成へ紹介していた。

そして、その後、本当に国政選挙へ立候補した。

もちろん、この二つの史料だけで、その間に何があったのかをすべて説明することはできません。

それでも、

「祖父はなぜ国政選挙に出たのだろう。」

という、以前の調査では分からなかった疑問について、一つの手掛かりを得ることができました。

祖父にとって国政選挙への立候補は、突然思い立ったものではなく、以前から抱いていた志の延長線上にあった可能性が高そうです。

「犬養毅の秘書だった」は、どこまで確認できたのか

一方、もう一つの家族伝承、

「祖父は犬養毅の秘書だった。」

についてはどうでしょうか。

今回見つけた『宇垣一成関係文書』と『墨美』の史料から、犬養毅が祖父を知っており、宇垣一成へ紹介する関係にあったことは確認できます。

家に残されていた犬養毅の書もあります。

しかし、今回確認した史料そのものには、祖父を犬養毅の「秘書」とする記述はありません。

そのため、

祖父が犬養毅の秘書だったことが確認できた。

とまでは、まだ言えません。

これは大事なところなので、家族の伝承と、史料から確認できた事実を分けておこうと思います。

現時点で言えるのは、

祖父と犬養毅の間には、家族の伝承だけではない、実際の接点があったことを示す複数の史料が残っている。

というところまででしょう。

「秘書だったのか」という問いについては、引き続き調べてみたいと思います。

家族の伝承は「間違い」で終わらせない

家系調査を始めてから、家族から聞いた話と史料が一致しないことが何度かありました。

最初は、

「やっぱり昔話は当てにならないのかな。」

と思うこともありました。

しかし、今回のような経験をすると、少し考え方が変わります。

「国会議員だった」という話は、文字どおりには正しくありませんでした。

しかし祖父が若い頃から政界を志し、実際に国政選挙へ立候補したことは、少しずつ史料から見えてきました。

「犬養毅の秘書だった」という話も、秘書という肩書そのものはまだ確認できていません。

一方で、犬養毅と祖父との接点を示すものは、家に残された書だけでなく、『宇垣一成関係文書』など外部に残された史料からも見つかりました。

つまり、伝承の細部が正確ではなかったとしても、その中心には何らかの事実が残っていることがあります。

以前の記事で感じた、

家族の伝承は、事実を核としながら少しずつ形を変えて受け継がれることがある。

ということを、今回の調査でも改めて実感しました。

遠く離れた土地で、若い祖父に出会う

今回、もう一つ不思議に感じたことがあります。

祖父について調べるために、祖父が暮らした土地へ行ったわけではありません。

現在の自分の生活圏とつながりのある人物の史料を調べていたら、その中から祖父が出てきました。

私は祖父と実際に接した記憶がほとんどありません。

これまで祖父を知る手掛かりは、父から聞いた話や、家に残された遺品が中心でした。

ところが今回、家族とは別の場所に保存されてきた史料の中から、

「政界へ出たいと考えていた若い祖父」

が現れました。

後年の選挙結果だけを見れば、「国政選挙に出て落選した人」です。

しかし、その一行の記録の前には、政治の世界を志し、人から人へ紹介してもらい、経験を積もうとしていた時期があった。

当たり前のことですが、歴史資料に残る「結果」の前にも、その人自身の人生があります。

家系調査をしていると、ときどき史料の中から、こうした**「結果になる前の人間」**が見えてくることがあります。

今回見つけた二つの史料は、私にとってまさにそんな史料でした。

調べるほど、最初の話に戻ってくる

この家系調査は、父から聞いた断片的な話を確かめるところから始まりました。

調べてみると、間違っていたこともありました。

思っていた以上のことが分かった人物もいました。

そして、分からないまま残っていることもたくさんあります。

それでも調査を続けていると、不思議なことに、最初に父から聞いた話へ何度も戻ってきます。

「祖父は犬養毅の秘書だった。」

「祖父は国会議員だった。」

最初は曖昧な昔話でしかなかった二つの言葉。

今では、その周囲に少しずつ史料が集まり始めています。

父がどこまで正確な話を祖父から聞いていたのかは、もう確認することができません。

だからこそ、残された史料を一つずつ集めながら、父が伝えようとしていた家族の歴史を、自分なりに組み立て直していきたいと思っています。

そして今回の調査で、祖父についても、まだ調べられることが残っていることが分かりました。


シリーズ記事

← 前の記事
第7話 先祖が暮らした土地へ──一泊二日の現地調査

曾祖父や高祖父が暮らした土地を訪ね、墓所を探し、地元の図書館で郷土資料を調査。現地へ行ったからこそ分かったことと、行っても分からなかったことを振り返りました。

第7話 先祖が暮らした土地へ──一泊二日の現地調査 - Roots Chronicle

次の記事 →
第9話 ここまでの家系調査で分かったこと(仮)

父から聞いたわずかな記憶を出発点に、祖父、曾祖父、高祖父へ。これまでの調査で確認できたこと、伝承とは違っていたこと、そして今も残る謎を一度整理します。

URL:(執筆中)

第7話 先祖が暮らした土地へ──一泊二日の現地調査

はじめに

前回の記事では、曾祖父と同じ住所で医師名簿に掲載されていた人物を調べ、その人物が高祖父にあたる可能性が高いこと、そして家族に伝わる「江戸時代に足柄山方面から移ってきた」という話を確かめようとしたことを書きました。

しかし、さらに前の世代へ進もうとすると、ネットで閲覧できる資料だけでは限界がありました。

図書館のレファレンスサービスを利用しても、江戸時代まで家系をつなぐ直接的な資料は見つかりません。

一方、曾祖父や高祖父が暮らしていた地域の図書館からは、複数の郷土資料に関係する記載があるとの回答をいただいていました。

資料の存在は分かった。

掲載されている場所も分かった。

でも、肝心の中身を自分の目で確認できない。

「それなら、実際に行ってみよう。」

ちょうどまとまった休暇を取れる機会があったこともあり、一泊二日で現地を訪ねることにしました。

ネット検索から始まった家系調査が、初めての「現地調査」へと進みます。

今回の現地調査で確かめたかったこと

今回の目的は、大きく三つありました。

一つ目は、曾祖父や高祖父が暮らしていた地域を実際に歩いてみること。

古い資料には当時の住所が残されています。

もちろん、現在の住所や街並みとは異なりますが、地図と照らし合わせながら歩けば、先祖が暮らした土地の雰囲気を少しでも感じられるかもしれません。

二つ目は、先祖の墓所を探すこと。

家族から聞いていたのは、「海と島を望む高台に墓があった」という、かなり曖昧な記憶だけです。

それでも、宗派などの情報を組み合わせれば候補を絞れるのではないかと考えました。

そして三つ目が、地元の図書館で郷土資料を確認すること。

事前にレファレンスサービスで関連資料を探していただいていたので、今回の現地調査では、これが一番確実に成果を期待できる目的でした。

この三つを手掛かりに、先祖が暮らした土地を訪ねてみることにしました。

先祖が暮らした街を歩いてみる

現地に着いて、まず向かったのは、曾祖父や高祖父が暮らしていたと考えられる地域です。

古い資料に記載されていた住所と現在の地図を照らし合わせながら、その周辺を歩いてみました。

当然ながら、100年以上前と同じ建物がそのまま残っているわけではありません。

また、現在そこに暮らしている方もいますので、このブログで具体的な場所を紹介することは控えます。

それでも、実際に歩いてみると、地図や資料を眺めているだけでは分からなかったことがありました。

海との距離。

山との位置関係。

街の高低差。

そして、これまで資料の中に文字としてしか存在しなかった地名同士の距離感。

「この辺りを曾祖父も歩いていたのだろうか。」

そう考えると、不思議な感覚になりました。

資料に書かれた「住所」が、初めて実際の「場所」として感じられた瞬間でした。

曖昧な記憶を頼りに墓を探す

続いて向かったのは、墓所の候補となりそうな場所です。

私が覚えていた手掛かりは、

海と島が見える高台にあった。

という家族の話でした。

さらに、宗派についてもある程度の情報が残っていました。

そこで、条件に合いそうな寺院や墓地をいくつか調べ、実際に足を運んでみることにしました。

しかし、これが思っていた以上に難しい。

「高台」といっても候補はいくつもあります。

海が見える場所も一つではありません。

そして何より、墓石に必ず探している姓が大きく刻まれているとも限りません。

候補となる場所をいくつか訪ねましたが、結局、この日の調査で墓を見つけることはできませんでした。

現地へ行けば何か分かるのではないか。

出発前は、どこかでそう思っていたのかもしれません。

しかし、実際には現地へ行っても分からないものは分からない。

家系調査は、そう簡単には進ませてくれないようです。

家族にゆかりのある場所も訪ねてみた

せっかく現地まで来たので、家族にゆかりのある場所にもいくつか足を運んでみました。

過去に家族とのつながりがあった場所や、親族から話を聞けるかもしれない場所です。

うまく話を聞くことができれば、資料には残っていない情報が得られるかもしれません。

しかし、こちらもタイミングが合わず、期待していたような話を聞くことはできませんでした。

墓も見つからない。

話を聞きたかった人にも会えない。

初日の現地調査は、成果だけを見れば少々寂しい結果になりました。

それでも、先祖が実際に暮らした土地を自分の足で歩けたことには、大きな意味があったように思います。

翌朝、まずは家族の墓へ

翌日は、すでに場所が分かっている家族の墓を訪ねるところから始めました。

そこには祖父母、そして父も眠っています。

今回調べている曾祖父や高祖父よりも、私にずっと近い世代です。

父が亡くなったことをきっかけに始まった家系調査。

その父の墓前に立ちながら、

「あなたから聞いた話を、今こうして調べているよ。」

そんなことを心の中で報告しました。

父から聞いた断片的な昔話がなければ、ここまで調べることもなかったでしょう。

そして、その記憶を頼りに、今度は父自身も直接知らなかった時代までさかのぼろうとしている。

家系調査というものの不思議さを、改めて感じました。

そして、本命の図書館へ

墓参りを終えた後、今回の現地調査で最も重要な目的地である図書館へ向かいました。

事前にレファレンスサービスをお願いしていたため、曾祖父や高祖父に関係する可能性のある資料を、すでに複数探していただいていました。

自分でネット検索をしていたときには存在すら知らなかった郷土資料もあります。

実際に資料を開いてみると、そこにはこれまで調べてきた人物に関する記述が残されていました。

ネット上の断片的な情報としてではなく、地域の歴史をまとめた資料の中に、先祖の名前や足跡が記録されている。

それを自分の目で確認できたことは、大きな収穫でした。

必要な部分については、図書館のルールに従って複写も行いました。

これまで画面越しに進めてきた調査とは、少し違う感覚があります。

目の前にある一冊の本を開き、その中から100年以上前に生きた人物の記録を探す。

「本当に残っているんだ。」

そんな感覚がありました。

資料から見えてきた、知らなかった曾祖父の姿

図書館で郷土資料を読み進めていくと、これまで知らなかった曾祖父の姿も少しずつ見えてきました。

曾祖父は医師として診療を行うだけでなく、地域の自治にも長く関わり、村医や学校医として地域医療や学校保健にも携わっていたようです。

特に印象に残ったのは、曾祖父が療養施設を開設した背景でした。

私はそれまで、療養に適した環境だったため、この土地に施設を作ったのだろうと漠然と考えていました。

しかし、郷土資料を読むと、それだけではなかったようです。

当時、この地域には療養を目的として患者が訪れる一方、感染症が周辺にも広がり、地域の衛生上の問題になっていたことが記されていました。

そうした状況の中で、患者を受け入れる施設の必要性を感じ、療養施設を開設したとされています。

さらに、その施設には一般の病室だけでなく、経済的に余裕のない患者のための低廉な病床も設けられていたことが分かりました。

前回までの調査で、曾祖父が療養施設を開設した医師だったことは分かっていました。

しかし今回、現地の資料を実際に読むことで、「何をした人なのか」だけではなく、「なぜそれをしたのか」という背景まで少しずつ見えてきました。

療養施設の模型が博覧会へ

さらに驚いた記述も見つかりました。

曾祖父が開設した療養施設の模型が、当時の内務省の勧めによって、サンフランシスコで開催された万国博覧会や東京・上野で開催された博覧会に出品された、というものです。

地域の療養施設について調べていたはずが、その取り組みが国内の博覧会だけでなく海外へも紹介されていた可能性が出てきました。

また、別の資料には、大正期に海外の学者が施設を訪れ、その立地や療養環境を評価したという趣旨の記述も残されていました。

ただし、このあたりについては、資料によって博覧会の開催年や名称、海外からの視察に関する記述に違いもありました。

そのため、現時点ですべてを確定した事実として扱うのではなく、今後さらに確認したい情報として残しておこうと思います。

それでも、地域の一療養施設だと思っていた場所について、海外にまで紹介された可能性を示す記録が残されていたことには驚きました。

資料を読むほど、曾祖父の見え方が変わった

家系調査を始める前、私にとって曾祖父は「昔のお医者さん」でした。

前回までの調査で、療養施設を開設した医師だったことが分かりました。

そして今回、現地で郷土資料を調べたことで、地域医療や学校保健、自治にも関わり、感染症という地域の問題に向き合って療養施設を作った人物だった可能性が見えてきました。

さらに、経済的に余裕のない患者を受け入れる仕組みを設け、その施設が地域の外にも紹介されていたという記録まで残っています。

明治から大正、そして昭和へと社会が大きく変わっていく時代に、新しい医学を学び、地域の課題に向き合い、実際に施設を作っていった。

100年以上後を生きる私が、残された資料だけから曾祖父の考えをすべて理解することはできません。

それでも、資料から見えてきたその姿勢には、時代を超えて見習いたいものがあると感じました。

会ったことのない人物なのに、資料を一つずつ読むことで、その人が何を考え、どのように生きたのかに、ほんの少しずつ近づいているような気がします。

レファレンスサービスのすごさを改めて実感する

今回、特に感じたのは、図書館のレファレンスサービスのありがたさでした。

インターネットで検索する場合、基本的には自分が思いついた言葉で検索します。

人物名。

地名。

職業。

施設名。

ある程度「何を探すのか」が分かっていなければ、検索することすらできません。

一方、地域の図書館には、その土地についてまとめられた郷土資料が数多くあります。

そしてレファレンスサービスでは、

「この人物について調べたい。」

「この時代の、この地域について知りたい。」

という相談から、自分では存在すら知らなかった資料を探していただけることがあります。

もちろん、レファレンスサービスを利用すれば必ず答えが見つかるわけではありません。

前回利用した別の図書館では、家系をさらにさかのぼる直接的な手掛かりは見つかりませんでした。

それでも、

「どんな資料を調べればよいのか。」

という道筋を示してもらえるだけでも、素人の家系調査には大きな助けになります。

今回、実際に図書館を訪れて資料を手に取ったことで、そのことを改めて実感しました。

現地へ行けば、すべて分かるわけではない

一泊二日の現地調査。

振り返ってみると、当初考えていたことがすべてうまくいったわけではありません。

探していた墓は見つかりませんでした。

直接話を聞きたいと思っていた人にも会えませんでした。

そして、先祖が暮らしていた場所を歩いても、そこに分かりやすく「答え」が残っているわけではありません。

一方で、現地へ行かなければ得られなかったものもありました。

先祖が暮らした土地の地形や距離感を、自分の目で見ることができたこと。

父や祖父母の墓前で、改めて家系調査について考えることができたこと。

そして何より、地元の図書館で、ネットでは閲覧できなかった郷土資料を実際に確認できたこと。

家系調査を始めた頃は、インターネットで名前を検索するだけでした。

そこから、国立国会図書館の資料を調べ、図書館へレファレンスを依頼し、ついには自分で現地まで足を運ぶようになりました。

少しずつですが、調べ方そのものも変わってきたように思います。

現地へ行けば答えが見つかるわけではない。

それでも、資料の向こう側にあった「土地」を実際に歩くことで、家族の歴史が少しだけ現実のものとして感じられるようになりました。

そして今回の現地調査では、墓所のように見つけられなかったものがある一方、図書館の資料から、これまで知らなかった曾祖父の姿を知ることができました。

「現地へ行けば、すべて分かるわけではない。」

それでも、ネットの向こう側にあった土地を歩き、そこでしか確認できない資料を手に取ることで、家系調査はまた一歩進んだように思います。

次回は、今回の現地調査を踏まえ、さらに残された手掛かりを追っていきたいと思います。


シリーズ記事

← 前の記事

第6話 医師名簿にいた、もう一人の人物は誰だったのか

曾祖父と同じ住所で医師名簿に記載されていた人物を追うと、高祖父と考えられる人物へとつながりました。さらに、家族に伝わる「江戸時代に足柄山方面から移ってきた」という話を確かめるため、図書館のレファレンスサービスを利用して調査を進めました。

第6話 医師名簿にいた、もう一人の人物は誰だったのか - Roots Chronicle

次の記事 →

第8話 祖父はなぜ政界を目指したのか――新たに見つかった二つの史料

「祖父は犬養毅の秘書で、国会議員だった」。父から聞いた家族の伝承を調べる中、『宇垣一成関係文書』と『墨美』から祖父に関する新たな史料を発見しました。そこから見えてきた犬養毅との接点と、若い頃から政界を志していた祖父の姿をたどります。

第8話 祖父はなぜ政界を目指したのか――新たに見つかった二つの史料 - Roots Chronicle

第6話 医師名簿にいた、もう一人の人物は誰だったのか

はじめに

前回の記事では、太宰治にまつわる父の記憶を手掛かりに、曾祖父について調べた過程を書きました。

名前すら知らなかった曾祖父が、医師名簿や地域資料、大学の論文などを通して、少しずつ一人の人物として見えてきました。

その調査中、医師名簿である『日本杏林要覧』を眺めていて、もう一つ気になる記載を見つけました。

曾祖父と同じ住所に、同じ姓を持つ別の医師が掲載されていたのです。

年代を考えれば、曾祖父より一世代前の人物である可能性があります。

この人物は誰なのか。

今回は、医師名簿に現れたもう一人の人物について、複数の資料を照らし合わせながら調べてみました。

同じ住所に記載された、もう一人の医師

『日本杏林要覧』には、曾祖父の生年月日や出身校、医師免許を得た時期などが掲載されていました。

そして、その近くには、曾祖父と同じ姓、同じ住所を持つ別の医師も記載されていました。

親族である可能性は高そうです。

しかし、同じ姓と住所だけで親子と断定することはできません。

そこで、医師名簿に記載されていた人物の名前と、曾祖父の名前を組み合わせて検索してみることにしました。

すると、ある医科大学の学術雑誌にたどり着きました。

大学の雑誌から分かった親子関係

見つけたのは、医療史に関する内容を掲載した大学の雑誌でした。

その中には、前回の記事で取り上げた療養施設と曾祖父の名前に加え、『日本杏林要覧』で同じ住所に記載されていた人物の名前も登場していました。

そして、その人物は曾祖父の父であると記されていました。

つまり、私から見れば高祖父にあたる人物です。

医師名簿で住所が一致していたこと。

年代のつじつまが合うこと。

さらに、別の資料で曾祖父との親子関係が記されていたこと。

これらを照らし合わせると、医師名簿のもう一人の人物は、私の高祖父である可能性が極めて高いと考えられます。

ただし、現時点では戸籍によって親子関係を直接確認したわけではありません。

このブログでは、資料から判断できることと、まだ確定していないことを分けるため、以降は「高祖父と考えられる人物」として話を進めます。

名前を国立国会図書館で検索してみる

人物の名前が分かると、次は国立国会図書館デジタルコレクションで検索してみました。

検索結果は数多く表示されましたが、同姓同名の別人も含まれている可能性があります。

そこで、居住していた地域や年代、職業などを手掛かりに、関係がありそうな資料を絞り込んでいきました。

すると、いくつか興味深い記述が見つかりました。

村医として宴席に招かれていた

曾祖父と高祖父が暮らしていた地域の近隣に関する史料集には、村医として高祖父と思われる人物が登場していました。

その記述によると、複数の人物が後を追って訪れ、池のほとりで酒宴を開いたようです。

古い文体なので細かな解釈には注意が必要ですが、少なくとも、地域の人々と交流する医師として記録に残っていたことがうかがえます。

資料を読んだときには、

もしかすると、お酒の好きな人だったのだろうか。

などと想像してしまいました。

これだけで性格まで判断することはできませんが、それでも、名前や経歴だけでは分からない日常の一場面が記録されていると、急にその人物が身近に感じられます。

家系調査では、こうした何気ない一文が意外に心に残ります。

漢方医学をめぐる資料にも名前があった

さらに検索すると、明治期の漢方医学をめぐる動きを記録した『漢洋医学闘争史』にも、高祖父と思われる名前が含まれていることが分かりました。

明治維新以降、日本の医療制度は西洋医学を中心に整えられていきました。

その一方で、従来の漢方医学を守ろうとする医師たちによる運動も行われていたようです。

ただし、この資料は検索結果から名前の存在を確認できたものの、該当箇所を自宅から閲覧することはできませんでした。

同姓同名の別人である可能性も残っています。

そのため、

  • どのような立場で名前が記されているのか
  • 本当に同じ人物なのか
  • 医師としてどのような活動をしていたのか

については、今後、所蔵館などで実際の資料を確認する必要があります。

検索結果に名前が出たことは手掛かりですが、それだけで事実として扱うことはできません。

こうした「見つけたけれど、まだ確認できていない情報」も、調査の途中経過として残しておきます。

自宅の一部が教室になっていた

地域の市史にも、高祖父と思われる人物の記述がありました。

明治初期に学制が公布された後、その人物の自宅の一部を教室として使用し、本人が教える形で授業が始まったという内容です。

この記述が同一人物に関するものであれば、高祖父は医師として診療するだけでなく、地域の教育にも関わっていたことになります。

前回調べた曾祖父も、地域医療や公共的な役割に携わっていました。

その一世代前と考えられる人物も、医療にとどまらず地域を支えていた可能性がある。

複数の資料からそんな共通点が見えてきたことは、とても興味深く感じました。

一方で、市史の短い記述だけでは、

  • なぜ自宅が教室として使われたのか
  • どのくらいの期間教えていたのか
  • 医師と教師をどのように両立していたのか

までは分かりません。

名前が見つかると、それまで存在すら知らなかった人物が見えてきます。

しかし、一つ分かるたびに、新たな疑問も増えていきました。

さらに前の世代へたどれるのか

高祖父と考えられる人物まで見えてくると、次に知りたくなったのは、そのさらに前の世代です。

ここで思い出したのが、父から聞いた家族の伝承でした。

江戸時代に、足柄山方面から現在の土地へ移ってきた。

詳しい場所や移住した人物、時期は分かりません。

ただ、足柄山周辺はかつて小田原藩の領域に含まれていました。

もし先祖が藩に仕える医師であったなら、藩医に関する記録に名前が残っているかもしれない。

あるいは、村や町で診療を行う在村医・町医であったなら、地域資料の中に手掛かりがあるかもしれない。

そう考え、旧小田原藩領に関する資料を所蔵する図書館のレファレンスサービスへ相談しました。

旧小田原藩領に関する情報を図書館へ問い合わせる

問い合わせでは、高祖父と考えられる人物の名前や年代、家族に伝わる移住の話を伝え、関係しそうな資料がないか調査をお願いしました。

回答では、大きく三つの方向から資料を紹介していただきました。

一つ目は、西湘地域の在村医や、小田原藩の藩医を扱った研究です。

二つ目は、小田原藩に仕えた同姓の医師一族に関する記録です。

ただし、そこに登場する人物たちは、名前やその後の居住地から考えて、今回調べている家系と直接つながるとは確認できませんでした。

そして三つ目が、江戸時代の村明細帳など、村ごとに作成された史料を調べる方法です。

江戸時代の調査は想像以上に難しい

レファレンスの回答から分かったのは、江戸時代まで家系をつなげる作業が、想像以上に難しいということでした。

当時の村明細帳は、すべての村について残っているわけではありません。

残っていたとしても、住民の名字が書かれていない場合があります。

また、家族の伝承では「足柄山方面」としか分からず、具体的な村名も特定できていません。

調べる範囲が非常に広いうえ、どの資料に名前が載っているかも分からない状態です。

さらに、藩医ではなく村医や町医だった場合、まとまった人物記録が残っているとは限りません。

レファレンスサービスを利用すれば、答えがそのまま見つかる。

相談する前は、どこかでそんな期待を抱いていたのかもしれません。

しかし、実際のレファレンスサービスは、答えを代わりに見つけてくれる魔法ではありませんでした。

どのような資料があり、次にどこを調べればよいのか。

その道筋を示してくれる、家系調査の案内役だったのです。

今回の調査では、家族の伝承を江戸時代までつなげることはできませんでした。

それでも、どのような資料を調べる必要があるのか、そして何が調査を難しくしているのかを知ることができました。

「分からなかった」という結果も、次へ進むための大切な成果だったと思います。

別の図書館から届いた手掛かり

高祖父と旧小田原藩領に関する情報は、レファレンスサービスから直接得ることはできませんでした。

一方、曾祖父や高祖父が暮らしていた地域の図書館にもレファレンスをお願いしていました。

こちらからは、複数の郷土資料に曾祖父や高祖父と思われる人物の記載があるとの回答をいただきました。

ただし、その中にはインターネットでは閲覧できない資料や、遠隔地から容易に取り寄せられないものも含まれていました。

資料の名前と掲載箇所は分かった。

けれど、肝心の内容を自分の目で確認できない。

そこで私は、

これは、現地へ行くしかない。

と考えるようになりました。

一泊二日の現地調査へ

ちょうどまとまった休暇を取得できる機会があったため、一泊二日で現地を訪ねることにしました。

今回の現地調査では、主に三つの目的を立てました。

一つ目は、曾祖父や高祖父が暮らした地域を実際に歩くことです。

現在の街並みに当時の面影がどの程度残っているのか。

資料だけでは分からない土地の距離感や地形を、自分の目で確かめたいと考えました。

二つ目は、先祖の墓所に関する手掛かりを探すことです。

家族からは、

海と島を望む高台に墓があった。

という曖昧な話を聞いていました。

宗派など、分かっている範囲の情報をもとに、候補となる寺院や墓地を訪ねてみることにしました。

三つ目は、図書館でレファレンス担当者が探してくださった郷土資料を確認し、必要な箇所を複写することです。

ネット検索だけで進めてきた家系調査は、ここで初めて現地での調査へと移ります。

果たして、会ったことのない先祖が暮らした土地で、どのような手掛かりを見つけることができるのでしょうか。

次回は、一泊二日で行った初めての現地調査について書いてみたいと思います。


シリーズ記事

← 前の記事

第5話 会ったことのない曾祖父が、少しずつ見えてきた

太宰治にまつわる父の記憶を手掛かりに、名前すら知らなかった曾祖父を調査。医師名簿や論文、地域資料を通して、一人の医師としての歩みが少しずつ見えてきました。

第5話 会ったことのない曾祖父が、少しずつ見えてきた - Roots Chronicle

次の記事 →

第7話 先祖が暮らした土地へ――一泊二日の現地調査

図書館から紹介された郷土資料の確認、先祖が暮らした地域の散策、墓所の手掛かり探しを目的に、初めて現地へ向かいます。

第7話 先祖が暮らした土地へ──一泊二日の現地調査 - Roots Chronicle

第5話 会ったことのない曾祖父が、少しずつ見えてきた

はじめに

前回の記事では、祖父について家族から聞いていた話を調べ、「家族の伝承は、事実を核としながら少しずつ形を変えて受け継がれることがある」と感じたことを書きました。

祖父について一通り調べ終えた頃、自然と気になったのは、そのさらに一世代前の曾祖父でした。

私が曾祖父について知っていたことは、ほんのわずかです。

幼い頃、父に連れられて親戚の家を訪ねた際、一枚の古い写真を見せてもらったことがありました。

長いひげをたくわえた人物だったことだけは、今でもよく覚えています。

そのとき父は、

「この人は曾祖父で、お医者さんだった。」

そう教えてくれました。

しかし、それ以上のことは何も知りませんでした。


唯一の手掛かりは、太宰治でした

曾祖父について思い出せることは、もう一つだけありました。

父が何気なく話していた、

「曾祖父の病院には、太宰治が入院したことがある。」

という話です。

病院の名前も、曾祖父の名前も覚えていません。

それでも、

「太宰治の足跡をたどれば、病院が分かるのではないか。」

そう考え、まずは太宰治について調べ始めました。

しばらくすると、療養先として病院の名前を見つけることができました。

さらに調べていくと、その病院の院長として曾祖父の名前が記されていました。

写真でしか知らなかった人物に、初めて「名前」が結び付いた瞬間でした。


名前が分かると、世界が一気に広がった

名前が分かると、調査は驚くほど進み始めました。

最初に見つけた日本杏林要覧には、

  • 生年月日
  • 医師免許を取得した年
  • 卒業した学校
  • 当時の住所

などが掲載されていました。

さらに興味深かったのは、同じ住所に同じ姓の医師が掲載されていたことです。

「この方は、曾祖父の父なのだろうか。」

そんな新しい疑問も生まれました。

家系調査では、一つの答えが見つかるたびに、新しい疑問も増えていくようです。


少しずつ人物像が見えてくる

さらに資料を読み進めると、曾祖父は地域で診療を行うだけでなく、結核患者のための療養施設を開設し、多くの患者の治療に尽力していたことが分かりました。

図1 曾祖父が関わった療養施設。家族の記憶が史料によって少しずつ形になっていった。

また、別の論文や資料にも同様の記述があり、一つの資料だけではなく、複数の資料から同じ事実を確認できるようになりました。

家系調査を始めた頃は、

「名前が分かれば十分だ。」

そう思っていました。

しかし、実際に調べてみると、一つの資料だけでは人物像は見えてきません。

複数の資料を照らし合わせていくことで、少しずつ一人の人生が浮かび上がってくることを知りました。


図書館という心強い味方

さらに調査を進める中で、図書館が公開している調査事例にもたどり着きました。

そこには、自分一人では見つけることができなかった資料まで紹介されていました。

「こんな調べ方があるのか。」

そう驚くと同時に、図書館には調査を支援してくださるレファレンスサービスがあることも知りました。

当時は、この出会いがその後の家系調査を大きく進めることになるとは思ってもいませんでした。


会ったことがないのに、人柄が伝わってくる

家系調査を始める前、曾祖父は私にとって、

「昔のお医者さん」

という程度の存在でした。

しかし、資料を一つひとつ読んでいくうちに、その印象は少しずつ変わっていきました。

地域医療に尽力し、結核患者のための療養施設を開設し、地域の人々を支えていたこと。

一つひとつの事実を知るたびに、

「どんな思いで医師を続けていたのだろう。」

「地域の人たちから、どんな先生だったのだろう。」

そんなことを自然と考えるようになりました。

私は曾祖父に会ったことがありません。

写真を一度見ただけです。

それでも、不思議なことに、資料を読み進めるたびに、一人の人物として少しずつ輪郭が見えてくるような感覚がありました。


過去を知ることは、自分を見つめ直すこと

曾祖父について知れば知るほど、一つのことを思うようになりました。

この方の血が、自分にも流れている。

もちろん、それだけで自分が特別になるわけではありません。

しかし、ご先祖様が地域のため、人のために尽くしてきた人生を知ることで、

「自分も、ご先祖様に恥じないような生き方をしたい。」

そう思うようになりました。

家系調査とは、戸籍や資料を集めることだけではありません。

過去を知ることで、自分がどのような人たちの営みの先に生きているのかを知り、今を生きる自分自身を見つめ直す時間でもある。

この頃から、私はそう感じるようになりました。


次回予告

医師名簿には、曾祖父と同じ住所・同じ姓の人物が掲載されていました。

果たして、その人物は曾祖父の父なのでしょうか。

そして、私の家系はいつから医師だったのでしょうか。

次回は、その答えを探すため、さらに一世代前へと調査を進めていきます。


シリーズ記事

← 前の記事

第4話 掛け軸が教えてくれた、最初の答え

父の遺品から見つかった犬養毅の掛け軸をきっかけに、祖父について調査を開始。家族の伝承と公開資料を照らし合わせながら、事実がどのように受け継がれてきたのかをたどります。

第4話 掛け軸が教えてくれた、最初の答え - Roots Chronicle


次の記事 →

第6話 医師名簿にいた、もう一人の人物は誰だったのか 

医師名簿に掲載されていた同じ姓・同じ住所の人物。その人物は誰なのか、私に所縁のある人物のなのか調査します。

第6話 医師名簿にいた、もう一人の人物は誰だったのか - Roots Chronicle

第4話 掛け軸が教えてくれた、最初の答え

前回の記事では、家族から聞いていた話を、そのまま整理してみました。

その中でも、私が最初に確かめてみたいと思ったのが、

「祖父は犬養毅の秘書だった。」

という話でした。

私自身は祖父に会ったことがなく、この話も誰から聞いたのかは定かではありません。

それでも、不思議と「きっと何か根拠があるのだろう」と思っていました。

父の遺品から見つかった掛け軸

父が亡くなり、遺品を整理していたとき、一幅の掛け軸が見つかりました。

箱を開けると、それは犬養毅から祖父へ贈られた書でした。

家族から「祖父は犬養毅の秘書だった」と聞いたことはありましたが、それを裏付けるような実物を目にしたのは、このときが初めてでした。

当時の私は、書の価値も保存方法も分かりませんでした。

もし歴史的な価値がある資料であれば、自分の手元で保管するよりも、その価値を理解し、適切に保存してくださる方へ託したい。

そう考え、犬養毅に関する資料を収集・保存している木堂記念館の存在を知り、ご相談しました。

その結果、この掛け軸は父の名で木堂記念館へ寄贈させていただくことになりました。

後日、記念館からは書かれている文章についてもご教示いただきました。

当時は、「貴重な資料を適切な場所へ託すことができて良かった」という気持ちが大きく、この掛け軸が家系調査の出発点になるとは思ってもいませんでした。

しかし今振り返ると、この一幅の掛け軸こそが、祖父やその時代へ目を向ける最初のきっかけだったのだと思います。

図1 犬養毅から祖父へ贈られた掛け軸(木堂記念館所蔵)
※こちら、我が家で撮った写真のため、見切れております。。。
現在、寄贈した木堂記念館に写真を送付いただけないか相談中です。

「国会議員だった」という話も調べてみる

掛け軸の存在によって、「祖父は犬養毅の秘書だった」という話には、確かな事実が含まれていることが分かりました。

それなら、もう一つの話も調べてみようと思いました。

「祖父は国会議員だった。」

政治家に関する資料は比較的残っています。

もし本当に国会議員だったのであれば、何らかの記録が見つかるはずです。

そう考えて調べ始めました。

ところが、いくら探しても、そのような記録は見つかりません。

「記憶違いなのだろうか。」

「別の人の話と混ざってしまったのだろうか。」

そんなことも考えました。

視点を変えて調べてみる

それでも、「犬養毅の秘書だった」という話は掛け軸によって裏付けられています。

であれば、「政治に関わっていた」という部分にも何か事実があるのではないか。

そう考え、「国会議員」という肩書ではなく、「政治に関わった人物」という視点で調べ直してみました。

すると、祖父が第17回衆議院議員総選挙に立候補していた記録を見つけることができました。

しかし、結果は当選ではありませんでした。

家族の伝承は、少しずつ形を変える

祖父が国政選挙に立候補したのは、1930年のことでした。

一方、父が生まれたのは1932年です。

つまり、この選挙は父が生まれる前の出来事であり、父自身が直接知っているはずはありません。

おそらく祖父や親族から、「昔こんなことがあった」と聞いて育ったのでしょう。

そう考えると、「祖父は選挙に立候補した」という出来事が、長い年月の中で「祖父は国会議員だった」という言葉に変わって伝えられたとしても、不思議ではないように思えます。

もちろん、本当の経緯は分かりません。

私がその場にいたわけでもなく、祖父に直接尋ねることもできません。

ただ、今回の調査を通して感じたのは、家族の伝承は核となる事実は残りながらも、世代を経る中で少しずつ表現が変わり、受け継がれていくことがあるということです。

この出来事は、家系調査を続ける上で、とても印象に残る最初の学びとなりました。

家系調査の面白さ

今回分かったのは、「祖父は国会議員ではなかった」という事実だけではありません。

家族から聞いた話を、そのまま信じるのでもなく、最初から否定するのでもなく、一つひとつ資料を調べ、事実を積み重ねていく。

その過程そのものが、家系調査の面白さなのだと感じました。

そして、この最初の検証をきっかけに、「ほかの話も調べてみたい」という気持ちは、ますます強くなっていきました。

次回予告

祖父について調べる中で、新たな人物や出来事が少しずつ見えてきました。

次回は、さらに一世代前へさかのぼり、曽祖父について調べ始めた経緯を書いてみようと思います。


シリーズ記事

← 前の記事

第3話 父が残してくれた記憶を書き出してみる

家族から聞いていた話を、あえて検証せず整理した「調査の出発点」です。

第3話 父が残してくれた記憶を書き出してみる - Roots Chronicle

次の記事 →

第5話 会ったことのない曾祖父が、少しずつ見えてきた

祖父の調査をきっかけに、さらに前の世代へ。新たな資料を探し始めます。そこにはなんと、かの有名な文豪の名も登場してきました。

第5話 会ったことのない曾祖父が、少しずつ見えてきた - Roots Chronicle

第3話 父が残してくれた記憶を書き出してみる

前回の記事では、家系調査の最初の手掛かりが、父や家族から聞いた断片的な記憶だったことを書きました。

では、調査を始める時点で、私は家族について何を知っていたのでしょうか。

まずは、頭の中に残っていることを、思い出せる範囲で書き出してみることにしました。

ただし、この時点では、どの話も史料による裏付けを取っていません。

正確に伝わっているものもあれば、長い年月のなかで少しずつ内容が変わったものもあるかもしれません。

私自身が、昔聞いた話を取り違えている可能性もあります。

今回は、あくまで「調査を始める前に覚えていたこと」として整理します。

なお、親族や関係者のプライバシーに配慮し、地域名や勤務先など、一部の情報はぼかして記載しています。

覚えていた家族の話

父や母から聞いた話と、自分の記憶を整理すると、おおむね次のようになりました。

  • 父方の先祖は、足柄山方面から移り住んできたらしい。
  • 曽祖父は医師で、病院や療養施設の運営に関わっていたらしい。
  • 祖父は犬養毅の秘書をしていた。
  • 祖父は政治に関わり、国政選挙にも関係していたらしい。
  • 父方の祖母の実家は、商業や船舶に関係する仕事をしていたらしい。
  • 父は子どもの頃、船に乗って外国を間近に見たことがある。
  • 戦後、横浜市に合った土地はGHQに没収されたらしい。
  • 父は大学や研究機関で働いていた。
  • 富士山の診療施設で勤務したことがある。
  • 空港に関係する医療業務に携わったことがある。
  • 国の制度を利用して、海外へ留学したことがある。

こうして並べてみると、どれも詳しいことが分かりません。

「らしい」という話が多く、いつ、どこで、誰が、何をしたのかという肝心な部分が抜けています。

父から聞いた話なのか、母から聞いた話なのか、それさえ曖昧なものもあります。

事実と伝承を分けて考える

家族から伝わった話だからといって、すべてが事実とは限りません。

しかし、完全な作り話とも限りません。

実際に起きた出来事の一部分だけが残り、世代を経るうちに、少し違う形で伝わった可能性もあります。

例えば、

  • 「政治に関わった人」が「国会議員だった」と伝わったのかもしれません。
  • 「海外へ留学した」という話も、大学名や留学先、制度の名称が混ざっているかもしれません。

だからこそ、最初から正誤を決めつけるのではなく、

  1. 家族から聞いた話
  2. 自分が記憶している話
  3. 資料で確認できた事実
  4. 現時点での推測

を分けて整理していく必要があります。

曖昧な記憶でも、手掛かりにはなる

今の段階では、正しい話がどれなのかは分かりません。

それでも、何もないところから調査を始めるよりは、曖昧な記憶でも十分な手掛かりになります。

  • 人物の職業
  • 関係していた土地
  • 所属していた組織
  • おおよその時代

こうした断片を組み合わせれば、戸籍や新聞、名簿、公文書などから、事実にたどり着けるかもしれません。

まずは、調べられそうな話から一つずつ確認していくことにしました。

最初に調べること

数ある記憶のなかで、最初に気になったのは、

祖父は犬養毅の秘書で、政治に関わっていた

という話でした。

犬養毅との関係については、家に残された資料もあり、比較的確かな話のように思えました。

一方で、祖父が実際にどのような立場で政治に関わっていたのかは分かりません。

国会議員だったのか。

選挙に立候補したのか。

政党や議員の活動を支える側だったのか。

公開されている記録を調べれば、比較的確認しやすい内容にも思えました。

そこで、家系調査の最初の検証として、祖父と政治にまつわる記憶から調べてみることにしました。

ところが実際に調べてみると、家族から伝わっていた話とは、少し異なる事実が見えてきました。

次回は、家族の記憶が世代を経るなかで、どのように形を変えて伝わっていたのかを書いてみようと思います。

シリーズ記事

← 前の記事

第2話 家系調査の手掛かりは、父の昔話だけだった

昔話をあまりしなかった父が、ときおり語ってくれた記憶を振り返ります。家系調査の出発点となった、曖昧で断片的な手掛かりについて書いています。

第2話 家系調査の手掛かりは、父の昔話だけだった - Roots Chronicle

次の記事 →

第4話 掛け軸が教えてくれた、最初の答え

犬養毅の秘書だったという祖父について、公開資料を使って政治との関わりを調べます。家族の間で伝わっていた話と、記録から分かった事実の違いを整理します。

第4話 掛け軸が教えてくれた、最初の答え - Roots Chronicle

第2話 家系調査の手掛かりは、父の昔話だけだった

前回の記事では、このブログを始めた理由を書きました。

父が亡くなり、家に残された資料や記憶を整理したいと思ったこと。そして、その過程そのものを記録していこうと考えたことです。

では、実際に家系調査を始めるにあたり、最初の手掛かりは何だったのでしょうか。

それは、父が昔話としてぽつりぽつりと話してくれた記憶でした。

父は昔話をあまりしない人でした

父は昭和初期の生まれでした。

戦争を経験した世代でしたが、戦前や戦争中の話を積極的にする人ではありませんでした。

それでも、お酒が入ると、時折昔の話をしてくれることがありました。

「B29が飛んできた。」

「東京大空襲のときは、東京の空が真っ赤に燃えていた。」

そんな話を聞いた記憶があります。

ただ、これらは歴史の教科書にも載っているような出来事です。

家系を調べる手掛かりとしては、残念ながら多くありませんでした。

子どもの頃には、その価値が分からなかった

父が昔話をしてくれたのは、私が小学生から中学生くらいの頃だったと思います。

しかし、当時の私は歴史にも家系にも興味がありませんでした。

「昔はそうだったんだ。」

その程度にしか受け止めておらず、詳しく聞き返すこともしませんでした。

今になって思えば、

「それはいつの話?」

「どこのこと?」

「誰から聞いたの?」

そんな質問を一つでもしていれば、調査はもっとスムーズだったかもしれません。

それでも、いくつか印象に残っている話がありました

父は昔話の中で、時折家族のことにも触れていました。

どれも断片的で、詳しい説明があったわけではありません。

それでも、不思議と印象に残っている話があります。

その一つひとつが、これから家系調査を進めるうえで、大切な手掛かりになっていきます。

もちろん、その内容が正しいとは限りません。

人から人へ伝わるうちに、少しずつ変わっていることもあるでしょう。

私自身の記憶違いもあるかもしれません。

それでも、調査はゼロから始めるしかありません。

まずは、この断片的な記憶を信じて歩き出すことにしました。

次回は、覚えていることをすべて書き出してみます

家系調査では、どんな小さな情報でも後から重要な手掛かりになることがあります。

そこで次回は、父から聞いたことや、家族から伝え聞いたことを、真偽を判断せず、そのまま書き出してみようと思います。

この時点では、どれが事実で、どれが伝承なのかは分かりません。

だからこそ、「調査を始める前の自分が何を知っていたのか」を、そのまま記録として残しておきたいと思います。

シリーズ記事

← 前の記事

第1話 父が遺した記憶をたどって──素人の家系調査を始めます

家系調査を始めようと思ったきっかけや、このブログで記録していく内容について紹介しています。

第1話 父が遺した記憶をたどって──素人の家系調査を始めます - Roots Chronicle

次の記事 →

第3話 父が残してくれた記憶を書き出してみる

家系調査を始める前に、父や家族から聞いていた話を真偽を判断せず整理し、最初の手掛かりをまとめます。

第3話 父が残してくれた記憶を書き出してみる - Roots Chronicle